音楽

syrup16gが、わたしのほとんど全てだという話【シロップ歴と足跡】

夜のテンションで(その2)

個人的な回顧録、自分の「syrup16g歴」です。


ふざけて書いた方はこちら↓

syrup16gとわたし

「syrup16g」というバンドの音楽に出会ったのは、高校生の頃です。

当時、友人にカラオケで流行りものの音楽ばかり歌い聴かされていることが苦痛で、「みんなとは違う音楽」を探し、放課後CDショップを徘徊する日々。

駅ビルに入っていた、比較的小規模な新星堂がお気に入りでした。

ライブハウスが駅近くにあるためか、あまりメジャーではないアーティストのおススメコーナーが充実していて、小規模ながらインディーズの取り扱いも充実していたのです。

そこである時目にしたのが、猛プッシュされていたBUMP OF CHICKENでした。

バンプにハマる

「ダイヤモンド」が発売されたその頃、特設されたバンプのコーナーには表紙を飾った新星堂のフリーペーパーも山積みされ、CDジャケットだけではわからない彼らのビジュアルが大々的にアピールされていました。

そのいかにも「ひょろっこくて」「チキンって感じの」「ほんのりイケメン」が「ロックをやっていて」「これほど猛プッシュされている」のに、とても惹かれたのです。

何らかの確信があったので視聴もせず、「ダイヤモンド」を一枚とフリーペーパーを一冊、即レジに持って行きました。

そしてそれは紛れもない「アタリ」だったのです。

スペースシャワーTVと、ポンツカ

まんまとバンプにハマった私は、インディーズ時代のCDを揃え、ビデオポキールを買い、情報を集めました。

ラジオ「ポンツカ」を聴くべく、ラジカセのアンテナを全開に伸ばして、ギリギリ届く電波を何とかキャッチし、カセットテープに録音。

(2回ほどFAXを読んでもらったことがあるのが、若干の自慢)

「バンプTV」が放送されているのを知り、親に頼み込んでスカパーを契約、スペースシャワーTVを視聴するようになります。

結果的にこれが、後に(バンプとシロップ以外のところでも)私の音楽人生に多大な影響を及ぼすわけですが。

当時はヘラヘラとバンプばっかり見ていました。

そこでチャマが、ことごとく紹介していたのが、シロップの「COPY」だったのです。

「負け犬」

ポンツカでは「無効の日」を流していました。

スペシャでは「負け犬」のMVが流れていました。

脳みそが、ひんやりしました。

バンプの時には熱くなるような感覚だったのが、シロップは冷えていくような、それでいて根っこはバンプもシロップも同じ、内臓を揺さぶってくるような。

「負け犬」の五十嵐の目に、やられてしまったのです。

幸い、バンプを猛プッシュしていた新星堂は、シロップも揃えてくれていました。

「COPY」を、文字通り胸に抱いて電車に乗り帰宅した日のことを、鮮明に覚えています。

「フリースロウ」にバンプの写真を見つけた時は大興奮してました

COPY

シロップのアルバムは全て名盤、という持論を持つ自分としても、「COPY」は紛うことなき名盤です。

私を沼へと強制連行した曲「負け犬」や「無効の日」、「生活」。

発表から20年近く経とうというのに、色褪せて古くなるどころか未だに鮮やかにシロップ新規の人々の心を抉り続けている曲ばかり。

”頑張れ”とか”君ならできる”とか、”やまない雨はない”とか、若しくは”君が””あなたが”を繰り返すラブソングとか、それらが薄っぺらい量産型の曲に思えていた時、シロップは尋常ではない破壊力を持っていたのです。

「君に存在価値はあるか」と言われた後、「心なんて一生不安さ」と言われる安心感。

「頭ダメにするまでがんばったりする必要なんてない」と言った後に「それを早く言ってくれよ」という哀しみと痛み。

https://www.uta-net.com/song/19481/

同時に大好きだったバンプの曲たちに溢れていた、不器用ながらも前を見た確かな希望とは違って、沼の底から月の明かりを見るような、寂しくも支えられる光を、シロップには見ていました。

解散と初ライブ

実は2008年の武道館の解散ライブまで、私はシロップのライブに行ったことがありませんでした。

音楽のライブ自体はとても好きで、バンプはチケットさえ取れれば、放課後に都会のど真ん中へと田舎のダサい制服を着たまま参加することもザラでした。

シロップと同様、バンプから繋がっていったART-SCHOOLやACIDMAN、RIJFも行っていましたし、どちらかというとライブ好きだったのですが、なぜかシロップだけは、ライブに行くという感覚がないバンドだったのです。

そんな中、飛び込んできたのが「syrup16g解散」のニュースでした。

ライブに参加したことのなかった自分にとっては、ほぼ音源でしかシロップを把握しておらず、彼らの間にどんな空気が流れていたのかを知らずにいました。

リリースのペースが滞り、出るとは思っていなかったベストアルバムを2枚も出して、それでも私はどこか楽観的な視点を持っていたのです。

解散ライブくらいは参加したい。

死に物狂いでチケットを確保して、当時まだ同棲中だった夫を引き連れて、武道館での一日を過ごしました。

初めて生で見たシロップは、これから終わっていくシロップで、一曲一曲、まるで葬り去っていく作業を、本気で胃を痛くしながら、ぐずぐずに泣き腫らしながら見届けました。

自分でも理解していなかったほどに、シロップの存在は強大だったのです。この日ようやく自覚しました。

そして、明日を歌った曲があるから、また明日からも、気が向いたら聴いてやって下さい、という五十嵐隆の言葉を真に受けて、とにかくその言葉通りの日々を過ごすことになったのでした。

「犬が吠える」

バンプは段々と肌に合わなくなってきて、気が向いたら、どころではなくいつもシロップばかり聴く毎日。

突如、五十嵐隆の始動の時が来ました。

たまたま取れたチケットを手に会場へ向かう電車の中、バンド名が「犬が吠える」だということを知り、笑いました。

他の対バンのライブはほとんど見ず、ビールを飲みながら待つ。

きゃあきゃあと楽しそうな女性二人組の着ているシロップのTシャツに眉をひそめ。

トリで始まった「犬が吠える」の初ライブ、ドラムとベースが女性で、ギターももう一人いる4人体制。

曲も悪くはなかったのに、「元気そうで良かったね」と口にした自分への違和感と、そしてそこから、すとんと腑に落ちた感情がありました。

私は好きなのは「五十嵐隆」個人ではない。大樹ちゃんがいてマキリンがいて、そこに五十嵐がいる「syrup16g」、それでしかない。私にとって「syrup16g」が全てだ。

生還と再結成

結局その後一度も犬が吠えるのライブには行かず、音源もお蔵入りのまま彼らは解散してしまい、ぷっつりと五十嵐の行方はわからなくなってしまいました。

他のメンバーはそれぞれに活動をしているのを知っていたし、私なんぞが心配するようなことは何もなかったのですが、五十嵐個人に関しては「どうしてるのかな」と思うような人だったので、気にはなっていました。

それでも、五十嵐のソロライブが開催されると知った時、私は行こうとは思わなかったのです。

「犬が吠える」を見に行った時のような感情を味わいたくなかったから。

そして結局、そのライブ「生還」が、実質syrup16gであったことを後になってから知り、地団太を踏んだのですが。

五十嵐がギターを弾いてシロップの曲を歌い、大樹ちゃんがドラムを叩いて、マキリンがベースを弾く。

なんだそれ、syrup16gじゃないか。

マンガのように、全身に鳥肌が立ちました。

毎日のようにシロップを聴いて、これがあれば他の音楽はいらないやと思って、それでも心のどこかで誤魔化してきた、本当は待ち焦がれていた存在が、過去ではなく現在においてそこにいる。

奇跡のような幸福感と、同時に、結局これは五十嵐のソロという名目でありsyrup16gではないのだという哀しみを感じました。

まあ結局のところその後再結成も発表されたわけですけど。

タイミングが悪い、と言うとそれも違うのですが、この再結成の発表の時、私妊娠中でして。

スマホの画面を見つめて「ライブなんかしばらく行けないよー!」と叫びながら、流れてきていたのは嬉し涙でした。

それからここまで

再結成後、シロップの間に流れている空気は解散前とは一変しているように思えます。

夫の協力を得て、ライブにも当たり前のように参加するようになりました。楽しそうにライブしている彼らを見るのは嬉しいことです。

何より、五十嵐が「求められている五十嵐隆」から抜け出せているような気がすることが、こちらもとても楽な気持ちになります。

(それを「才能の枯渇」と呼ぶ人がいたのですが、五十嵐の才能が枯渇などしていないことは再結成後の曲をみても明らかで、ただ「ファン層に異常に求められていた五十嵐隆の姿」でないというだけのことではと思います)

今も、変わらず再結成以前の曲を聴きながら、再結成後の曲も聴く日々。

10代だったあの頃から、こんなおばさんになるまで、ずっと自分を肯定するための力を与えてくれているsyrup16gは、ほぼ私の全てになっています。

ライブもリリースもゆっくりのペースであるのはシロップだなあと思わせますが、一向に構いません。あったらそりゃ当然嬉しいですけれど。

「syrup16g」という存在が、過去のものではなく今まさに生きているということが、私にとってとんでもなく喜ばしく幸運なことであり、きっとこれからもずっと聴き続けるんだという根拠のない自信にも似た感覚が在るからです。

ABOUT ME
某嫁
某県 某市にて、普通の母と嫁をしつつ、趣味である消しゴムはんこで好きなモノやひとをゆるゆると彫っています。